韓国の古宮「景福宮」の秘密
景福宮を200%楽しむ方法!17個の秘密を詳しくご紹介!
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多くの観光客が一度は必ず訪問する景福宮!
今回はそんな景福宮に行く前に知っていてほしい17個の秘密をご紹介
この秘密を知って訪問すると、ただ訪問するより100倍楽しめます
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1. 景福宮を作るのにどのくらいかかったか?
太祖が新しい国である朝鮮を建国してから初めに行ったのは、王の祖先たちを祀る宗廟を建て王室の家族と臣下たちが住む宮殿を作ることでした
宮殿を建てるのにかかった期間は約10か月。
太祖3年(1395)12月から工事をし始め、翌年の9月に完成しました
宮殿の中には国の政治について議論する場所、王と王妃が住む場所、臣下が働く場所、宮殿の塀と出入口などがあります。
この宮殿の名前を「景福宮(キョンボックン)」と名付けました。
2. 現在の青瓦台の位置も景福宮だったってホント?!
青瓦台(청와대)
現在の青瓦台の位置には昔景福宮の後苑がありました。
北側の門である神武門(신무문)の後ろに後苑があり、そこでは王と臣下たちが弓を打ったり、国の人材を選抜する科挙試験をしたりする場所でした
日本統治下時代に南山にあった総督府を景福宮に移し政府機関を建てた時に、日本の総督が住む家が景福宮の後苑に建てられます。
解放後に後苑の施設は景武台(경무대)という名前で大統領事務所として使われました。
その後新しい建物を建て「青瓦台(청와대)」と名前を変更し、日本総督が住んでいた家は取り壊しました
3. 景福宮はなぜ長い間廃墟となっていたのか
文禄・慶長の役
(出典:월간중앙)
文禄・慶長の役(1592)が起こり景福宮・昌徳宮・昌慶宮などすべての宮殿が焼失しました
当時の王である宣祖は一時的に現在の徳寿宮に住んでいましたが、宮殿を再建する時に景福宮を建てることができませんでした。
規模が大きく材料と尽力が足りないという理由と、位置があまり良くないという理由で昌徳宮と昌慶宮を先に建設します
その後約270年間廃墟だけが残っていましたが、高宗の時代に大院君(대원군)が景福宮を再建(1868)しました
4. ハングルはどこで作られたのか?
修政殿(수정전)
世宗大王と集賢殿の学者たちは多くの人が楽に文字を使用できるように「訓民正音(ハングル)」を作りました
ハングルは作った人と作られた時間が分かっており科学的なため、世界文化遺産として登録されています。
ハングルが発明された場所である集賢殿は、景福宮の修政殿の位置にありました
5. 大長今(チャングム)はどこで料理をしたのか?
出典:mbc 대장금
チャングムは中宗の時の医女です。
医女は病気を治す女性医者を指します
韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」でチャングムは医女から宮中料理人となり活躍します。
しかし〈朝鮮王朝実録〉にはチャングムについて医女の記録しか残っていません
宮殿には宮女たちが料理を作っていた水刺間(수라간)がありますが、もしチャングムが料理をしていたならきっとこの水刺間だったはずです!
チャングムに関する詳しい内容はコチラ
6. 韓国で最初に電気照明をつけたのはどこか?
乾清宮(出典:한국전력공사)
乾清宮の前で韓国で初めての電気照明が使われました。
韓国最初のアメリカ留学生であるユ・キルジュンが朝鮮に帰ってきて、高宗に暗い夜を明るくする電気というものを知らせます
高宗はアメリカのエディソン電機会社に電気工事を頼み、エディソン会社は乾清宮の前にある池(香池亭)の水を使った発電所を作りました
韓国の電気発想者という文字が刻まれた石が乾清宮に残っています。
7. 慶会樓の池から龍が出たってホント?
出典:국립고궁박물관
慶会樓の池から青銅でできた龍2羽が発見されました
1997年に慶会樓を掃除しようと水を抜いた時に発見されたといいます。
龍は長さ146.5cm、幅が14.2cm、重さ66.5kgです!
昔から龍は水を操り、雨を降らす神秘的な動物と考えられてきました
慶会樓に火がつかないことを祈って雨を降らせる龍を池に入れておいたのです。
現在この龍は国立古宮博物館に展示されているので、気になる方はぜひ見に行ってみてください
8. 朝鮮時代の王の日課
出典:mbc 퐁당퐁당러브
王はとても忙しい1日を送りました。
王がしなければならない仕事は1万個を超えると言われています
王はまず大人に挨拶をし、臣下たちと国の政治について議論します。
そして国をうまく治めるために勉強もしました
1日に3回以上の勉強時間があり、夜遅くに臣下たちを読んで気になる点を質問をしていたそうです。
王様がする勉強は儒教と歴史でした。
一番重要な勉強は体と心を健康に保つことだったと言われています
9. 朝鮮時代に景福宮には何人住んでいたのか?
出典:jtbc 꽃들의 전쟁
宮殿は国を治める王とその家族たちが生活する場所です。
さらに王と王妃の身の回りの手助けをする人も住んだり出入りをしたりしていました
正確な記録は残されていませんが、大体3,000人程度が宮殿に住むか出入りしていたといいます。
王室の家族、宮女、内官などが500人程度で、宮殿を守る軍人が2,000人、政治をする臣下と宮殿で働く人が500人程度です
10. 朝鮮時代に景福宮の役人たちはどこで働いていたのか?
弘文館
(出典:문화재청)
景福宮には王を助け、国の政治をしていた役人たちがたくさんいました。
景福宮の南西側に役人の事務室があります
王の命令を伝達する承政院、王が政治を決定する時に助ける弘文館、宮殿を守る内兵曹など様々な官庁がありました。
そして王と王室家族の健康を管理する内医院と料理を担う司饔院、衣類を担当する尚衣院などがあります
11. 景福宮の大きな建物の屋根の下にはなぜ網が張られているのか?
ブシ
(出典:우리문화신문)
景福宮を歩いていると、建物の柱と屋根の下に網のようなものが張られている所があります。
これは「ブシ」と言い、鳥が巣を作ったり侵入しないようにするためのものです
鳥が集まるとフンが落ちて汚くなるので、これを防ぐために設置されました。
12. 慈慶殿の十長生煙突には何が刻まれているのか?
景福宮慈慶殿十長今煙突
(出典:문화재청)
慈慶殿の裏側にある塀には「十長生煙突」があります。
健康に末永く生きるという意味が含まれた十長生が煙突に刻まれているためについた名前です
煙突の壁を見ると真ん中に大きな四角い絵があり上下に小さな絵があります。
真ん中の大きな絵が十長生の彫刻で、その中には海、山、雲、岩、松の木、竹、亀、シカ、鶴、不老草などが刻まれています
13. 明成皇后はどこで殺害されたのか?
出典:여주시, 에이콤
明成皇后は香遠亭の北側にある乾清宮の坤寧閤にて日本により殺害されました。
日本は朝鮮を支配しようとしたが明成皇后がロシアと仲良く使用としたため殺害されたのです
1895年10月8日の深夜、日本軍は景福宮光化門から侵入し、勤政殿の西側の塀を通り景福宮の後方にある乾清宮の坤寧閤まで向かったと言われています。
14. 王が亡くなられた時の宮殿の様子
出典:sbs 녹두꽃
王が亡くなられると遺体を宮殿の中の喪屋に安置し、お葬式の日程が決まると王陵に運ばれます。
朝鮮時代には両親が亡くなると産んで育ててくれたことに感謝の気持ちを込めて3年間悲しむのですが、王室でも亡くなった王と王妃のために3年間悲しみ、葬儀を行います。
王が亡くなられた後3年間が過ぎると宮殿にあった霊牌を宗廟に移して祀ります
15. 景福宮の建物の屋根の上にある動物の模型は何?
宮殿の屋根の上をよく見ると瓦だけでなく、動物の形をした模型が見えます。
このような瓦を「装飾瓦」と言い、宮殿が火事にならないように想像上の動物が屋根を守っているのです
龍の形をした鷲頭と龍頭、三蔵法師、孫悟空、沙悟浄、猪八戒などの銅像があります。
16. 勤政殿の地面に建てられている石は何か?
景福宮の勤政殿に入ると広い空間があり、その真ん中に大きな勤政殿があります。
勤政殿までつながる道を御道(어도)と呼びます
この御道の左右には碑石のような石が建っているのが分かります。
これは「品階石(품계석)」といい、勤政殿で行事を行う時に臣下たちが自分の地位に合わせて列に並ぶ目安のようなものです
17. 光化門の前にある動物の銅像は何か?
光化門の左右にあるトラのような彫刻像は「ヘテ」と言います。
ヘテは想像上の動物でヘチとも呼ばれ、人々の善悪を区別し、悪のある者は罰として頭にあるつので刺したという話が伝わっています
宮殿に入ってくる人はかごや馬に乗って入口まで来ますが、ヘテ像の前からは乗っていたものから降りて歩いて景福宮に入ったそうです。
(写真出典:게티이미지뱅크)
今回は韓国の宮殿「景福宮」の様々な秘密についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
上記の内容を知ってから訪問するとより楽しく景福宮を見ることができるはずです
ここまで、「韓国の宮殿「景福宮」の秘密」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。