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韓国での双子に対する考え方の歴史

歴史ドラマで双子の一人を殺していたのは事実なのかについてご紹介!

정영여영이
3 years ago

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《恋慕》

こんにちは  

韓国人が毎日お伝えする
最新韓国旅行情報Creatripです!


韓国ドラマ《恋慕》では、生まれた王子と王女が双子だったため王子は王位を継承できないという話が出てきます。

これはドラマの中で双子は不吉の象徴だからです  

今回は韓国での双子に対する考え方の歴史についてご紹介します。


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韓国歴史上の双子

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《インス大妃》

実際に韓国の歴史的文書の中には双子や多胎児に対する記録がたくさんあります。

当時朝鮮時代や高麗時代を問わず、多胎児を出産して人口を増やした家族は優遇されました  

例えば1642年朝鮮王朝仁祖時代、全羅道順天(スンチョン)の世帯で三つ子の男児を出産しお米をもらった記録が残っています  

三つ子の他にも複数の子供が同時に生まれた場合は、国が子育て補助金を提供していました。

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大韓・民国・万歳

昔から現在に至るまで韓国で最も多くの子供を一度に生んだ記録は、新羅時代193年の慶州で四男一女です  

さらに四つ子の記録は統一新羅時代に3回、朝鮮時代に5回あり、三つ子の記録は朝鮮時代だけで151回あります。


統一新羅の文武王時代(661~681年)には三男一女を生んだ母親に200袋の食料が与えられました。

これは現代のお金に換算すると約4,000万ウォンで、当時女性が生涯をかけても稼げなかったお金です  


また朝鮮の世宗時代(1418~1450年)では、米や大豆の年間収穫量がわずか10袋だったにもかかわらず、三つ子を出産した家族に9年分の食料を与えたそうです。

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このような記録を見ると韓国ドラマ《恋慕》のように双子を不吉だと思うどころか、優遇しています  

しかし上記はどれも市民の記録で、朝鮮時代や高麗時代の王室内の双子の記録は見つかっていません。



王室にはなぜ双子の記録がないのか?

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《恋慕》

韓国ドラマ《恋慕》では双子の誕生は不吉な兆しだと見なされています。

同じ外見の2人が将来成長しどちらかが王になった時、王が2人いるように見えるため人々の混乱と不安を引き起こすと考えられました  


これに対する公式的な証拠はありません。

しかし王室の記録は元々王の良い業績を残すものであるため、たとえ女王が双子を出産したとしても記録されていなかった可能性はあります  

朝鮮王朝中宗時代に文定王后(《宮廷女官チャングムの誓い》の登場人物の一人)が双子を妊娠したという記録が残っていますが、残念ながら流産してしまったようです。

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《宮廷女官チャングムの誓い》文定王后

そのため韓国で昔双子が不吉であったということは、単なる憶測にすぎません。

確かなことは王室の記録には双子が誕生し、その内の一人を殺したという事例は一度もなかったということです  

高句麗王朝は双子が生まれたことを記録した唯一の王朝です。

弓裔(クン・イェ)の子供に双子がいましたが、その双子と王妃は弓裔によって殺害されてしまいました  



双子に関する歴史的主張

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国家は多胎出産に対して褒美を与えていましたが、韓国の歴史において依然として混乱を招くものでした。

1533年(中宗28年)に王家の一族であるソ・ソンジョン(서성정)の家で三つ子が生まれました。

しかし朝鮮王朝の記録では人の体と犬の頭を持って生まれたと書かれており、謎に包まれています  

また朝鮮初期から後期にかけて多胎児の出産記録にはいくつかの特徴がみられます。

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《恋慕》

1つ目は三つ子の誕生の記録には「3人の男子」と最も多く記録されていました。

当時の家父長制の考え方ならば、3人の女子が生まれたのならどうだったのでしょうか  

2つ目に多胎児を出産した人はほとんどが民間人であり、位の高い両班で生まれた双子の記録はほとんどありませんでした。


このデータから多胎児を出産したことを国に報告した民間人は主に報酬をもらうために申請していたと考えられます。

両班では多胎児を出産したとしても、これが栄光ではないため報告をしなかった可能性があります。

この雰囲気は朝鮮後期の三つ子の奨励の減少の記録から読み取ることができます  


朝鮮時代初期の三つ子に対する奨励は10袋から7、5袋と徐々に減少しました。

後期には与えられた食べ物(곡식하사)という記録のみで量については書いてありません。

中宗実録の中で、三つ子の出生前に異常な流れ星が観測され「天変(천변)」と言われました。

さらに先ほどの犬の頭を持った子供の話などもあり、三つ子が不吉の兆しという考えにつながったのかもしれません  



今回は韓国ドラマ《恋慕》をもとに、韓国で昔双子がどのように考えられていたかについてご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

韓国の歴史について興味を持っていただけたのなら嬉しいです  


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ここまで、「韓国での双子に対する考え方の歴史」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。