韓服の時代別変化
韓服の起源、時代別の変化と特徴についてご紹介!
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皆さんは韓国の民族衣装である韓服を着てみたことはありますか?
韓服は、日本ではチマチョゴリと呼ばれていますが、これは本当は「スカートとトップス」という意味です
韓国人はいつから韓服を着て、時代別にはどのような特徴があるのかについてご紹介します。
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韓服の歴史
古朝鮮時代(紀元前2333年~紀元前108年)
出典:deviantart@glimja
古朝鮮とは、朝鮮半島に生まれた最初の政権であり北方に位置していました。
南方の部落には「辰国」と呼ばれる同盟がありましたが、これについては記録がほとんど残っていません。
しかしこの辰国が後の三韓の前身になります
韓国の学者は、古朝鮮の韓服は遊牧民の衣装の特徴を持っていると話します。
北と南の生活習慣が異なることから、南方では上衣下裳(상의하상)、北方では乗馬のために上襦下袴(상유하고)を主に着ていたそうです。
そこからズボンに長い上衣を着て腰に帯を巻き、女性はズボンの上にスカートをはき長い上衣を着るスタイルが韓服の始まりになったと言います。
当時の韓国人は白い服を好んでいたため、当時の韓服は白色であったと推測されています
三国時代(紀元前108年~紀元668年)
紀元前194年、古朝鮮でクーデターが起こり新王の魏幡が誕生しましたが、古朝鮮という名前を使用していました。
その後紀元前108年に中国西漢が朝鮮半島を攻撃し古朝鮮の時代が終了。
ここから三国時代が始まりました
出典:instiz
古朝鮮の韓服については詳しい内容が残っていませんが、韓服の初めの頃のスタイルが高句麗時代の壁画に残っています
女性の韓服は上半身が「チョゴリ(저고리)」、下半身が「チマ(スカート/치마)」、アウターに「トゥルマギ(두루마기)」を着ていました。
男性は「チョゴリ」と「パジ(ズボン/바지)」、「トゥルマギ」でした。
下半身以外は、チョゴリとトゥルマギ、腰にする帯などはほとんど同じです。
これは全て古朝鮮の韓服と似ていますが、公式的には三国時代の韓服がその起源として認識されています
出典:Daum
三国時代末期、貴族は腰の帯に足を完全に覆う長いスカートやズボンを着用し、韓服の一般的な形が確立しました。
しかし三国で少しずつ異なる特徴がありました
- 高句麗韓服
高句麗の韓服は中国文化の影響を受け、身分によって様々な色が使われ、上衣に柄も追加されました。
また高句麗の韓服の最大の特徴は袖が広く、上衣の裾が長いことです
同時代に日本でも中国の影響で同じような衣服が現れました。
- 百済韓服
出典:instiz
出典:스포츠조선
三国のうち百済は外国文化に寛容で日本と貿易を行っていたため、当時の日本文化との類似点を見つけることができます。
特に女性は現代的な化粧品を使用し、スカートも種類が様々で、この特徴は他には見られない固有の文化です
- 新羅韓服
新羅の韓服は金や銀がよく使われ、とても華やかです。
当時、中国の唐の衣料品が大量に流入したため唐の漢服とほとんど同じ形のものが多く着られました。
新羅はその後三国を統一し、唐の漢服スタイルが全国に広がったのです
統一新羅時代(668~935年)
出典:Doopedia
統一新羅時代は、新羅が唐王朝の支援を受けて高句麗と百済を征服しただけでなく、それぞれの文化を吸収し朝鮮半島の文化がより繁栄しました。
韓服は華麗で階級ごとに少しずつ特徴が変わっていきます。
出典:instiz
唐の文化の影響を受けて、統一新羅貴族女性の韓服の袖口はかなり広くなり、上衣には多くの柄、裾は長すぎて床につくほどになりました。
唐文化であるスカーフも統一新羅時代に見られるようになります。
面白いのは当時貴族が韓服を着る際に上衣を最初に着て、その上に長いスカートをはき、上衣が少ししか見えなかったという点です
高麗時代(935~1392年)
901年に後百済と後高句麗と新羅の「後三国時代」になりました。
対立が続く中、935年に高麗は新羅と合併し、936年に新羅が滅亡し、高麗時代が始まりました
高麗時代の韓服は中国宋とモンゴルの文化の影響を受けて徐々に変化していきました。
女性の韓服は唐の文化が残っていました。
当時階級に関係なく、王様を含める全ての人が白紵袍(백저포)という白いローブを着ることを好んだそうです。
また全体的に裾の長さが短くなり、腰の帯が太くなったことが高麗時代の韓服の最大の特徴です
これは現代の韓服の形にかなり似ています
朝鮮時代(1392~1876年)
朝鮮時代の韓服は高麗時代とあまり変わりません。
儒教の思想が流入し、商品の輸出入が盛んになり衣料品に対する規制も徐々に緩和されました。
朝鮮時代後期になると、女性のチョゴリは時が経つにつれてどんどん短くなっていきます。
16世紀は上衣の裾は腰の位置でしたが、朝鮮時代末期には胸を隠せないくらい短くなってしまったのです
そのため胸全体を覆うことができる太い腰の帯が重要になりました。
出典:instiz
上衣が短くなるにつれてスカートの中にたくさんの布を入れてスカートを美しく見せました
出典:instiz
当時上流階級の韓服は麻やシルクなどの高級生地で作られてましたが、一般市民は綿で作られたものを着ていたそうです。
例えば上流階級の女性や子供は華麗でカラフルですが、一般市民は当時法律で白色の服しか着られないと決められていました。
しかし特別な場面では薄いピンクやライトグリーン、グレーなど淡い色を着ることができたそうです。
男性は膝丈のローブを着ることが礼儀だったと言います
現代の生活韓服
現代では洋服が流入し、韓服を着ることはほとんどなくなりました。
結婚式などの本当に特別な日以外は着る機会がないのが現状です
しかし最近は韓服の文化を継承するために、現代の生活に合わせて改良した生活韓服が作られるようになりました!
BTSを始めとする韓国アイドルや芸能人もよく着用しています
今回は韓服の時代別変化についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
韓服は時代ごとにそれぞれ特徴がかなり違うことが分かりましたね
今度韓国時代劇ドラマを見る時は韓服でどの時代のお話なのか推測してみてください
ここまで、「韓服の時代別変化」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。