《袖先赤いクットン》の歴史的背景
時代劇ドラマ《袖先赤いクットン》に出てきた実際の歴史をご紹介!
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中殿媽媽(중전마마)即ち王妃や尚宮は韓国の古代宮中で非常に重要な職務を担っており、あらゆる面で才能が必要でした
韓国の時代劇ドラマでは王と庶民の愛がよく題材となりますが、実際に可能だったのでしょうか?
《袖先赤いクットン》から実際の歴史について探っていきます
《袖先赤いクットン》の歴史的背景
《袖先赤いクットン》は実際の歴史と一致しているか?
韓国時代劇ドラマ《袖先赤いクットン》は2021年に放送され、国内外で高い評価を受けています。
このドラマは朝鮮国王である正祖とドクイムという女官の宮中ロマンス物語です
最終的にドクイムは正祖の側室になりますが、これは実際の歴史と一致しています。
しかし歴史上女官が側室や王妃になることは本当に可能だったのでしょうか?
女官は国王の側室・王妃になれるのか?
《袖先赤いクットン》の前半部分の見どころは、一般庶民の女性が女官として宮殿入りし、正祖の恋人になる点です。
正祖はドクイムを王妃にしたがりますが阻止され、結局ドクイムは正祖の側室にしかなれませんでした
韓国の歴史上、実際に庶民が王妃になることはできたのでしょうか?
韓国の時代劇ドラマが好きな方は国王に愛された《宮廷女官チャングムの誓い》のイ・ヨンセンや《奇皇后~二つの愛 涙の誓い~》のキ・スンニャン、《トンイ》のチェ・ドンイを見てきたはずです。
注目すべき点は奇皇后を除いては皆側室にしかなれず、王妃となった奇皇后も後に問題となります。
歴史上の女官とは
出典:MBC Drama
韓国の歴史的記録によると、女官は賤民のみなることができ平民は女官になれませんでした。
しかし孝宗の時代は平民階級から女官を選び批判を受けました。
そのため多くの家で女官に選ばれることを避けるために娘を若い年齢で結婚させたりもました。
出典:oh my news
出典:MBC
女官になると王に近づけ、側室に選ばれる可能性が生まれるにもかかわらずなぜ娘を女官にしたくなかったのでしょうか?
なぜなら宮殿には多くの女性がおり、行動の制限があったため王に出会うことすら簡単ではなかったからです
そのため女官が国王と出会い愛され側室に選ばれる可能性は、宝くじの一等に当選する確率よりも低かったのです。
それにも関わらず、女官は宮中に入ると国王の女性になるということになり、一生結婚できなくなります。
自由な生活も制限されるため、多くの家では娘を女官にすることを避けたかったのです。
平民は王妃になれないのか?
出典:SBS
実際の歴史の中で平民が朝鮮王朝の王妃になったことはなかったのでしょうか?
《チャン・オクチョン 愛に生きる》ではチャン・オクチョンが低い身分から王妃となる物語が描かれています。
後に国王となる息子を生み王妃となりますが、結局陰謀により死刑を宣告されてしまいました
この事件により当時の国王粛宗は「側室は王妃になれない」と言及したそうです。
その後朝鮮王朝では数年間、粛宗の言葉を肝に銘じて側室を王妃にしませんでした。
したがって平民が王妃となるのはほとんど不可能であることを結論付けることができます
王妃の立場は非常に政治的な役割を果たしていました。
王妃のほとんどは宮中で強力な権力を持つ貴族の娘だったので、平民は側室の立場までなら可能性があったのです。
歴史上では朝鮮王朝の文化と政治が原因で、王と平民のロマンチックな愛は叶いませんでした。
階級が異なるということだけで、国王が最も愛した女性を王妃として迎えることができなかったのです
今回は《袖先赤いクットン》から見る歴史的背景をご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
本当に愛していた人と結婚ができないだなんて悲しすぎますね
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