ソウル四大門と四小門の歴史
ソウルにある門の名前から歴史までご紹介!
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朝鮮王朝初期、太宗李成桂が首都を漢陽(現ソウル)に移します。
都を守るために城壁を建て、東西南北にそれぞれ四大門、さらにその間に四小門を設置しました
今回はそんなソウルにある四大門と四小門の歴史から、ソウルの昔の姿を覗いてみましょう!
ソウルの四大門
ソウル四大門の名前の由来
出典:게티이미지
ソウルの四大門はその方角によってそれぞれ東大門、西大門、南大門、北大門と呼ばれています。
しかしこの名前、正式名称ではないことをご存じですか?
正式名称は儒教の「仁義礼智信」の考えに基づいて名づけられました。
東大門は慈悲の門という意味で「興仁之門」、西大門は忠誠の門「敦義門」、南大門は礼の門「崇礼門」。
北大門だけは智ではなく清という文字を使い知恵を表に出さないという意味の「肅清門」と呼ばれ、後に静かで安定しているという意味の「肅靖門」に変更されました
興仁之門/東大門(흥인지문/동대문)
- 住所:ソウル鍾路区鍾路288
(서울 종로구 종로 288)
出典:kogl
興仁之門(フンインジムン)は1396年朝鮮時代に建設されました
ソウル四大門の一つで、唯一門の外側に円形に建てられた甕城(옹성)の形をしています。
さらに他の門の名前とは異なり4文字になっているのは、この地域が一番低い位置にあり南にある清渓川から水が流れ出ているため、風水的な観点で1文字足すことによりその運勢を高めようとしたからです
時代の変化と共に興仁之門周辺が発展し、誰もが知る商業地域となりました。
有名になるにつれて、門だけでなくこの地域一帯を東大門と呼ぶようになったのです
敦義門/西大門(돈의문/서대문)
- 住所:ソウル鍾路区平洞112
(서울 종로구 평동 112)
出典:wikimedia
敦義門(トニムン)は元々慶熙宮の西側の丘にあったことから「西門」と呼ばれていました。
世宗大王が1422年に城壁を再建した時に西門を取り壊し、もう少し南側に敦義門を建設します
それ以来新しく作られた敦義門を「新門」と呼んでいました。
しかし1915年、高速道路の拡張工事により取り壊され、現在残っているのは敦義門跡と書かれた記念碑のみです
有名な西大門刑務所や西大門独立公園、梨花大学一帯が西大門区に含まれており、東大門と同じく地域名として今でも名前が使用されています。
崇礼門/南大門(숭례문/남대문)
- 住所:ソウル中区世宗大路40
(서울 중구 세종대로 40)
出典:kogl
韓国の国宝第一号である崇礼門(スンネムン)は1395年に建設されました。
ソウル四大門の中で一番大きい門であり、かつては最も古い木造の建物でした
しかし2008年に70歳の人が南大門に放火し、建物が完全に破壊されてしてしまったのです
ソウル市と専門家が懸命に再建しましたが、もう歴史的価値の高かった昔の姿はありません。
崇礼門は1907年日本統治下時代に都市再建のために周りの城壁が取り壊されます。
その後朝鮮戦争中にも被害を受け大規模な修復活動が行われましたが、一人の韓国人によって一晩で無くなってしまうとは誰も思っていませんでした
崇礼門がソウルの四大門の中で一番悲惨な歴史を持つ門だと言えます。
現在は門の内側に崇礼門広場ができ、把守儀式というイベントも行われています
肅靖門/北大門(숙정문/북대문)
- 住所:ソウル鍾路区三清洞山2-1
(서울 종로구 삼청동 산2-1)
出典:wikimedia
肅靖門(スッチョンムン)は北漢山の東側に位置しています。
人々が使用する目的ではなく、東西南の門を作ったため東西南北のバランスを完成させるために建てられました
その後国家の緊急事態時の避難場所としても使用されたそうです。
北大門は1976年北丘山一帯の城壁の修復時に共に再建され、現在は北丘山のハイキングコースの一つになっています
ソウルの四小門
恵化門/東小門(혜화문/동소문)
- 住所:ソウル鍾路区昌慶宮路307
(서울 종로구 창경궁로 307)
NAVER BLOG:BONOKEBLI1202
恵化門(ヘファムン)はソウル城北区東小門洞にあります。
最初に建てられた当時には恵化門ではなく弘化門(홍화문/ホンファムン)と呼ばれていました
しかし朝鮮成宗時代に宮殿の東門として弘化門が新建されたため、東小門の名前が恵化門に変更されることになります。
現在の恵化門は大学路の近くにあり、地下鉄4号線恵化駅の名前の由来です
韓国人だけでなく観光客にも人気の駱山(ナクサン)公園から城壁に沿って北側に歩いて行くと、恵化門にたどり着くことができます
昭義門/西小門(소의문/서소문)
- 住所:ソウル中区西小門洞58-41
(서울 중구 서소문동 58-41)
出典:visitseoul
西小門として知られている昭義門(ソイムン)は、1396年建設当時は昭徳門(소덕문/ソドンムン)と呼ばれていました。
1744年、朝鮮睿宗時代に妃の名前を昭徳王后にし、名前の重複を避けるために門の名前を変更したのです
しかし西小門の運命は西大門と同じく悲惨なものでした。
1914年日本統治時代に都市計画により取り壊され、現在は石碑のみ残っています
光煕門/南小門(광희문/남소문)
- 住所:ソウル中区新堂洞226-4
(서울 중구 신당동 226-4)
出典:한국관광공사
光煕門(クァンヒムン)は朝鮮王朝太祖5年(1396年)に漢陽の南東部に建てられた小さな門です。
文禄慶長の役で破壊され肅宗の時に再建されましたが、日本統治下時代に路面電車計画により再び城壁が取り壊されます
さらに朝鮮戦争時代にも破壊され1975年に再建されて今の姿になりました。
彰義門/北小門(창의문/북소문)
- 住所:ソウル鍾路区彰義門路118
(서울 종로구 창의문로 118)
出典:wikipedia
彰義門(チャンイムン)は北門または紫霞門(자하문/チャハムン)としても知られています。
漢陽から揚州に向かう北側の主要な門として使われていました
1416年彰義門の位置が風水的に朝鮮王朝に悪い影響があるとされ、1506年まで閉鎖されます。
文禄慶長の役の時に門が一度焼失し、1740年に再建されました
その後大きな被害が無くソウルの四小門の中で、一番保存状態がいい門と言われています
今回はソウルにある四大門と四小門の歴史についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
ぜひソウル旅行に来られる際には、ソウルの昔の姿が残る四大門や四小門を巡ってみてください
ここまで、「ソウル四大門と四小門の歴史」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。