韓国映画の歴史と発展
どうして韓国映画は世界的に成功したのでしょうか?
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皆さんは韓国映画を見たことがありますか?
「新感染ファイナル・エクスプレス」や「パラサイト」は世界的に大ヒットとなりましたよね
韓国国内では、20年ほど前から数々の韓国映画が上映され、国民から高評価を得ています。
ではなぜ韓国人は韓国映画を支持するのでしょうか?
今回は韓国映画の歴史と発展についてご紹介します
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韓国映画の歴史
朝鮮戦争前後の韓国映画
朝鮮戦争(6・25戦争)が開始された当時、釜山と大邱を中心に海外映画が輸入され、戦争の疲れを癒しました。
休戦後には映画産業がますます発展し、その拠点がソウルの忠武路に集まります。
海外映画を紹介する劇場や企業が増加し、制作資金、配給、流通のシステムが整い始め、韓国映画産業の始まりとなりました
韓国映画「誤発弾(오발탄)」
アメリカの大衆文化と西洋文化が韓国国内に流れ込むにつれて、ハリウッド映画は韓国映画の成長の源となり、素材、外見、キャラクター像、題材や背景などに影響を与えました。
現在の韓国映画は基本的にロマンチック、ドラマ、コメディーなどがほとんどですが、1960年代には家族を題材にした世代間の矛盾や政治の風刺などが主流でした。
1960年、韓国初の民主主義運動「4・19革命」や「5・16軍事クーデター」は社会を大きく変えました。
離婚した人々の姿を描いたり、当時の人々の不安を描写したりして実際の社会問題を表現したのです。
これは韓国社会の大きな変化だと言えます
政策により抑圧された韓国映画
韓国映画「Love Me Once Again」
1962年「映画法」が制定され、韓国映画の保護と方向性が決められましたが、同時に強力な統制と審査(脚本事前審査、映画審査)が実施されました。
また映画からの収入は割り当てられ、この方針は1980年代まで続きました。
完全に映画製作の自由を奪ってしまったのです。
しかし抑圧政策にもかかわらず当時の映画は依然として多様なテーマで制作されました
韓国の経済発展と近代化により比較的安定していたのです。
当時の映画の主なジャンルは、歴史ドラマ、コメディーやロマンチックドラマ、アクションスリラー、文学映画、剣士映画、反共産主義の啓蒙映画などがあります。
若者に人気の青春、剣士映画などは政府の許可が下りやすいジャンルだったそうです。
しかし調査結果によると外国映画を見る20代の割合は50%、国内映画は14.7%でした。
50歳以上の比較的保守的な人が韓国映画をより好む傾向がありました。(61.6%)
維新時代(유신시대)の韓国映画の衰退
1972年、パク・チョンヒ大統領は法改正を行い、「維新時代」である第四共和国時代を開きました。
これにより韓国映画は1960年代の黄金期を経て、テレビの普及、娯楽の増加、映画品質の低下により徐々に衰退していきます
しかし政府の厳格な審査により、審査に通過した作品が観客の心をつかみ、ベストセラー小説の映画版が徐々に登場するようになりました。
出典:백세시대
また当時テレビの登場は韓国映画界に大きな衝撃を与えました。
1965年にテレビが出現した当時は普及率が0.61%でしたが、1979年にはなんと79.1%まで増加しました
この時期には韓国映画にも様々な記録があったことも忘れてはいけません
1968年には初めてライブ撮影に成功したり、歴史上最大の半共産主義の映画を製作したりしました。
また韓国独立後、韓国語で教育を受けた作家が作った学生を題材にした映画なども登場したのです。
海外映画と競う希望の光
出典:오마이뉴스
1980年代、韓国で残酷な社会運動が鎮圧された後、韓国映画は再び道を開き始めました。
歴史、社会、性別などに関する問題にも触れるようになり、以前の韓国映画とはまた異なる風潮が現れました。
これは韓国のニューウェーブ(Korean New Wave)の発端となり、映画精神と忠武路映画産業が結合して数々の優れた映画製作者を生み出しました
1980年にカラーテレビが放送開始され、1981年には映画館設立、1982年には夜間外出禁止令解除、髪型の自由、深夜映画館の設立など社会が大きく変わりました。
1986年のアジア大会や1988年のソウルオリンピックが行われた時期には、新世代のトレンドが新しい映画の可能性を形作りました。
しかし韓国映画産業の構造を大きく変えたのは1984年と1985年の5, 6番目の映画法改正です
アメリカは韓国映画市場の自由化を要求し、外国為替輸入割当と所得割当優先構造を変更するよう圧力をかけました。
そのため韓国にアメリカの映画がディーラーを介さず韓国に入ってくるようになり、韓国映画は外国映画と向き合うことになったのです。
1988年から1993年にかけて20世紀スタジオやワーナーブラザーズなどの大規模な映画会社の支店が韓国に設立されます。
最初の作品は韓国映画を押しつぶすほどの興行収入でした
当時韓国が民主主義に突入した時期で、それはつまり西洋文化が韓国に流入したということでもあります。
その影響から1990年代半ばには韓国映画がまた低迷してしまいました
韓国国内の映画製作者は大規模な集会を行い、政府に韓国映画の救済を求めました。
激動の90年代韓国映画
1988ソウルオリンピック
韓国民主化解放後、アメリカ映画は韓国で直接輸入し上映されるようになりました。
その結果、1980年代初めの韓国映画の割合は約40%でしたが、1993年には15.9%に減少しました。
1990年頃には100~120本だった韓国映画が1998年には43本になるほどの減少率だった反面、外国映画は405本に達したのです
1988年ソウルオリンピック後、サムスン、LG、大宇は映画産業に目を向け、領域を拡大しました。
同時に金融資本も映画やテレビ業界に参入します。
金融業界が初めて投資した映画は1995年に登場しました
それ以来ますます多くの大企業が映画業界に参入し、投資しています。
韓国の映画業界は商業映画の製作への投資を通じて、マーケティングやプロモーションの強化、ハリウッド映画戦略を導入し始めました。
イ・チャンドン監督
また1990年代には「作家監督」も登場し、ホン・サンス、パク・チャンウク、キム・ギドク、イ・チャンドンなどが次々とデビューし、韓国映画史上最も重要な監督となりました。
1995年に「映画振興法」が制定され、韓国の各映画館は少なくとも年間146日上映しなければならないと定めました。
しかしこの方針は後に変更され韓国映画が影響を受けたため、「スクリーンクオーター監視団(스크린쿼터감시단)」を設立
韓国映画が最高基準を満たすことができるようにするために1999年に数百万の請願を開始しました。
1999年全国映画クオータ運動
1996年に釜山映画祭が開かれ、韓国映画を観客や海外に宣伝しました
アート映画や商業映画に新たな舞台を与え、韓国人に韓国映画のすばらしさを伝えました。
現在の韓国映画
韓国映画への制作も抑圧から支援に変化したほか、1997年には審査制度が廃止され、「上映評価制度(상영등급제)」が制定されました。
これにより作品の自由度が高まり、企業投資、映画館のインフラ導入など韓国映画の多様性を生み出すことになりました。
1990年代の終わりには韓国映画が飛躍的に輝き始めました。
2000年代後半にも韓国映画の割当は73日に半減しましたが、1990年代に築かれた基盤により、韓国映画は韓国映画市場では半分近くのシェアを誇っています。
韓国映画「パラサイト」
ユン・ヨジョン(映画「ミナリ」)
現在の映画館を見ると、ハリウッドの大ヒット作に加えて数々の韓国映画が上映されています
過去20年間で数多くのボックスオフィスの記録を残し、さらにはアカデミー賞を取って世界一に輝いた「パラサイト」で韓国映画のすばらしさが証明されました
また女優のユン・ヨジョンは「ミナリ」でアカデミー賞助演女優賞を受賞し、韓国人俳優として初の快挙となりました
今回は韓国映画の歴史と成功の理由についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
韓国映画は多くの試行錯誤を経て、現在のように素晴らしい作品をたくさん生み出せるようになったことが分かりました
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