1994年「聖水大橋崩壊事件」
韓国ドラマ『シグナル』に出た事件が本当に韓国で起こったことだった?!
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1994年10月21日、ソウルの聖水大橋が崩壊し、多くの死傷者が出た事件がありました。
この事件から27年が経ちましたが、今でも多くの人々の心に忘れられない辛い思い出として残っています
tvN『シグナル』
この事件は韓国ドラマ『シグナル』の中での事件のモチーブにもなりました。
今回はそんな聖水大橋崩壊事件についてご紹介します
聖水大橋崩壊事件
- 発生日時:1994年10月21日 07:38
- 死傷者:32人死亡、17人負傷
1994年10月21日午前7時38分頃、ソウル漢江にかかる橋のひとつである聖水大橋の10・11番目の橋脚の間で事故が発生。
この崩壊で当時橋の上を走っていた3台の車が落下、さらにその後2台の車と16番バスが落下しました。
当時崩壊した橋の上にいてそのまま落ちた車より、崩壊後垂直に落ちていったバスや車はかなり悲惨な状態だったそうです。
後から落下した車2台は漢江に沈み、16番バスは50m以上の高さから落下し橋にぶつかりながらひどく変形しバスだけで29人もの犠牲者が出ました。
墜落した車に乗っていた義務警察は、死傷者の拡大を防ぐため尽力し、政府や国民から称賛を浴びたそうです
聖水大橋はなぜ崩壊したのか?
聖水大橋の建設にはトラス橋工法を採用していましたが、接続部分のピンが1本折れたことをきっかけに他のピンも連鎖的に折れ、中央の吊り桁部分が分断されて崩壊したとの見解が発表されました。
崩壊の前夜、実際に聖水大橋の板部分にひびが入っていることに気づいた人もいましたが、悲劇はその後すぐに起こってしまったのです
安全点検をしっかり行わなかったことも原因の一つだと言われてます。
聖水大橋の荷重容量は約32.1トンでしたが、1993年以降聖水大橋とソウル東部を結ぶ高速道路が開通して以来、交通量がさらに増加しました。
これに対しソウル市庁は対策をせず、40トンを超える重量がかかっていたと言われています
バス乗客死亡者29人には、高校生8人、中学生1人、大学生1人、外国人1人が含まれており、韓国国内だけでなく海外にも大きな衝撃を与えました。
これにより韓国の建設業界のイメージにも大打撃があったそうです。
聖水大橋崩壊事件後どうなった?
事故発生後、ソウル市は対策本部を設置して救助活動を開始し、救助だけでなく聖水大橋へのアクセス遮断、交通整理などを行いました。
12時間後の1994年10月21日午後7時頃、当時の大統領であるキム・ヨンサム大統領は当時のソウル市長イ・ウォンジョンを市庁の座から追放します。
イ・ウォンジョン元市長は大統領に解任された数少ない市庁の一人となりました。
元ソウル市長イ・ウォンジョン
聖水大橋崩壊を受けて、韓国政府は他の橋の緊急点検が行われました。
その過程で1997年1月1日に堂山鉄橋を取り壊して再建し、1999年11月22日に再び使用されるようになります。
聖水大橋の復旧過程についても多くの議論が交わされました。
たくさんの土木業界の専門家が現在のトラス橋を補強する方法を提案しましたが、国民の不安は拭えず1995年4月26日に現代建設が再建に取り掛かります
現在の聖水大橋(出典:연합뉴스)
昔の聖水大橋(出典:나무위키)
1997年7月に聖水大橋が完成し開通しましたが、その後も拡張工事が行われ2004年に今の形が完成しました。
今回は1994年に韓国で実際に起こった聖水大橋崩壊事件についてご紹介しました。
いかがだったでしょうか?
聖水大橋の事故は自然災害ではなく、人為的災害と言えます。
安全が一番なのでこの事件が広く知られて、どんな施設でも安全点検を忘れずにしっかり行われる社会になったらいいなと思いました
ここまで、1994年「聖水大橋崩壊事件」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。