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韓国人が毎日お伝えする
最新韓国旅行情報Creatripです!
皆さんは韓国の地下鉄について何かご存知ですか?
韓国、特にソウルの地下鉄は世界的に認められています
世界で8番目に長い都市鉄道網を有し、施設が非常に良く清潔で、様々な先端要素を備えています。
アメリカの自動車専門メディアであるジャロプニックが認めた、世界最高の地下鉄の中の一つなんです

ソウル地下鉄には現在324の駅があり、駅名には様々な興味深い事情と歴史的・文化的意味が込められています
今回は、名前が変わった地下鉄駅を調べて、それに関する様々なストーリーをご紹介します
大学名に変更されたケース

ソウルと首都圏には多くの大学があります
有名な大学の名前を地下鉄駅名にしたケースはよく見かけますよね!
実は1974年に地下鉄1号線が開通した時、地下鉄の駅名を付ける原則は「該当地域の地名」でした。

しかしその後、他の号線が次々と開通すると、一つの地域に二つ以上の駅ができる場合が多くなりました。
ソウルの地下鉄駅は緻密な方で、これを解決するために地下鉄駅の名前として地域のランドマークを使用することにしたのです

出典:theqoo
この時梨大駅(2号線)、ソウル大入口駅(2号線)、漢陽大駅(2号線)、教大駅(2号線、3号線)に大学名がつけられました。
しかし、地下鉄駅の名前に大学名が入ると、多大な広報効果を得られるため、他の大学の反発を招きました
実際、大学の近くに新しい駅ができると、ものすごい神経戦を繰り広げます。
例えば、2001年釜山地下鉄2号線が開通した時、その近くの大学3校が熾烈な戦いを繰り広げ、結局「慶星大、釜慶大駅(東明大学校駅)」というとんでもない名前が付けられたこともありました
それでは大学の名前に変わった駅を見てみましょうか?
1. 東橋駅(동교역)
→弘大入口駅(홍대입구역)

弘大入口駅は2号線、京義中央線、空港鉄道が通るソウルで最も有名な地下鉄駅の一つ。
現在、首都圏全域の駅の中で乗降数5位を記録しています
弘大入口駅の元々の名前は「東橋駅(동교역)」。
位置する所がまさにソウル麻浦区東橋洞だからです。

しかし、2号線が開通するわずか4日前に弘益大学校の要求により弘大入口駅に改名されました。
当時、一緒に開通された2号線の梨大駅(이대역)、ソウル大入口駅(서울대입구역)、漢陽大駅(한양대역)、教大駅(교대역)のように、自分たちも学校名を入れてほしいと要請したのです!
このように、弘益大学の要請によって地下鉄駅の名前が変わり、駅名に大学名をつけるブームが始まりました
2. 華陽駅(화양역)
→建大入口駅(건대입구역)

建大入口駅は2号線と7号線が交わる駅で、建国大学の近くに位置している地下鉄駅です。
2号線が開通した当時は、広津区華陽洞に位置しているという理由から「華陽駅」という名前でした。

出典:ウィキペディア
しかし、大学名を付けるブームにより、建国大学から華陽駅を建大入口駅に改名してほしいという要請がありました。
結局1985年、華陽駅は建大入口駅に名前が変わり、建大入口駅近くの建大通りは弘大通りと共に、最もホットな大学路の一つになっています
3. 徽慶駅(휘경역)→外大前駅(외대앞역)

外大前駅は韓国外国語大学の近くに位置する1号線地下鉄の駅。
開通当時は、徽慶洞と里門洞の境界にあったことから「徽慶駅」という名が付けられました。
ですが、近くに回基駅(회기역)が開通したことにより、状況が少しこじれます。
徽慶駅は正確には里門洞に、回基駅は徽慶洞に位置していたのです

それで1996年に徽慶駅から外大前駅に改名することになりました。
駅名から起こる混乱を減らすために改名したという理由もありますが、韓国外国語大学自体が徽慶駅の駅名を外大前駅に変えるために一生懸命努力したそうです!
4. 総神大入口(梨水)駅(총신대입구역)
→梨水駅(이수역) →総神大入口(梨水)駅

総神大入口駅と梨水駅は、韓国に存在する路線が交わる駅の中で唯一、各路線の駅名が異なる駅として有名
ふつう路線が交わる駅は同じ名前で合わせるのが一般的ですが、ここは4番線が総神大入口駅、7番線は梨水駅という名前がついています。
こうなったのには複雑な訳があるんです。

出典:ウィキペディア
最初の4号線が開通した1984年、総神大学側は学校広報のために建設費約2400万ウォン(現在の貨幣価値で換算すると約8000万ウォン程)を投資し、駅名が総神大入口駅となりました

出典:ウィキペディア
その後、2000年に7号線が開通し、当時の総神大入口駅を通る乗換駅と南城駅(남성역)ができました。
問題は、当時の総神大入口駅よりも南城駅の方が総神大学に近かったことです。
それで当時の総神大入口駅を4号線7号線「梨水駅」に変え、7号線南城駅は「南城駅(総神大入口)」に名前が決まりました。

しかしその後、総神大学から激しい抗議を受けます
いろいろな理由を挙げて抗議しましたが、結論的には流動人口10万人以上である乗換駅の駅名を占めるためでした。
結局、駅名が変わってから2ヶ月で4号線は総神大入口駅に、7号線は梨水駅に名前が変わりました。
この事件は総神大学の無理強いと利己主義を示す事件として、今でも多くの非難を浴びています
5. 栗田駅(율전역)→成大前駅(성대앞역)
→成均館大駅(성균관대역)

出典:매일경제
成均館大はキャンパスが二つに分かれており、一つは広く知られているソウルの恵化(혜화)大学路に位置し、一つは水原市に位置しています。
その中で成均館大駅は水原キャンパスの近くに位置する1号線地下鉄の駅です。
1979年に地下鉄駅が開通したときは、栗田駅という名前でした。
地下鉄駅が位置する地域名が「栗田洞(율전동)」で、昔は栗の木がたくさん植えられていたことから「栗畑通り」と呼ばれていたそうです

出典:ウィキペディア
しかし、1984年を基点に駅名に成均館大学を入れることになりました。
成均館大学が栗田洞のランドマークの役割を担っている上、水原キャンパスに通学している学生たちがその駅を多く利用しているからです
そこに住む住民たちは、歴史性を持つ栗田駅の名前を取り戻すべきだと主張しましたが、うやむやになり今でも成均館大駅という名を維持しているそうです。
6. 西江駅(서강역)→西江大駅(서강대역)
出典:오마이뉴스
西江大駅は西江大学校の前に位置する京義中央線の地下鉄駅。
西江大駅は1929年に「西江駅」という名で運営を開始した、とても歴史深い駅でした。
西江駅は今の西江大橋がある西江ナル(漢江に船が渡っていたところ)と近いという理由からその名が付けられました。
当時、西江駅は一般旅客列車を扱いながら、同時に石炭を供給する列車も扱っていたそうです
しかし植民地支配からの解放後、その使い道がなくなり、貨物専用駅としてのみ利用されていました。

出典:西江大学
その後、京義中央線の西江駅は復活しましたが、その間に新しくできた6号線の広興倉駅(광흥창역)が西江大橋、つまり西江ナルとより近いため、西江駅という名が相応しくないという主張がありました。
そこですぐ近くに位置する西江大学にちなんで、西江大駅という名に変わりました
また、西江駅だった時代には韓国語のローマ字表記法に従って「Seogang Station」でしたが、西江大学の英語表記に従って「Sogang University Station」に変更されています。
7. 硯村駅(연촌역)→城北駅(성북역)
→光云大駅(광운대역)
出典:Facebookページ 시간여행자
光云大駅は地下鉄1号線と京春線が交わる地下鉄駅。
日本による植民地時代には硯村駅と呼ばれ、貨物輸送のための列車が通っていました
そして1963年に城北駅と呼ばれ始め、1号線が開通し一般列車が通い始めました。

出典:ohmynews
問題は城北駅という名前が地域名と合わなかったという点です。
昔はここが城北区でしたが、行政区域の改編により、現在は城北区や城北洞のどこにも位置しなくなってしまったのです
この時期を逃さず、光云大学では駅の名前に光云大を入れるための運動をしました。
当時、韓国鉄道公社では大学名を駅の名前に付けようとして争いになったことがあまりにも多く、光云大の要請を拒否していました。
ですが住民投票で80%以上の住民が光云大の名前を駅名として使うことに賛成し、結局2012年に光云大駅という名前が付けられました
地域のイメージのために
名前を変えたケース

上の地下鉄駅名と地域名が一致しないなど、特定の問題がなくても名称を変えたケースがいくつかあります。
まさに地域のイメージのためです
地下鉄駅名が地域のイメージに影響を与えることもあるので、駅名を変えたのでしょう。
どのようなケースがあるのか見てみましょうか?
1. 競馬場駅(경마장역)
→競馬公園駅(경마공원역)

韓国馬事会がソウル競馬公園の接近性を高めるために、鉄道庁に要請して建設された4号線の競馬公園駅。
最初に駅が開通した時には競馬場駅でした
しかし韓国で競馬というと、スポーツよりは賭博的な面が強いイメージを持つため、多くの韓国人は「競馬場」という単語を見ると賭博を連想しました

出典:헤럴드 경제
そこで競馬場と関連した否定的なイメージをなくすために、名前を競馬公園駅に変えました。
競馬場も従来の「ソウル競馬場」ではなく「レッツランパークソウル」という名前に改名されています
2. 九老工団駅(구로공단역)
→九老デジタル団地駅(구로디지털단지역)

出典:조선일보
九老デジタル団地駅はソウル九老区に位置する2号線の地下鉄駅。
以前は九老工団駅という名称でした。
「工団」は工業団地の略語で、近くに工場がとても多かったことから「九老工団」と名付けたのです
しかし、2004年に地域イメージ改善のために九老デジタル団地に改称しました。
昔、九老工団時代には縫製産業が最も代表的な産業でした。
ここで行われた数多くの労働集約型製造業のおかげで、韓国経済が大きく成長します

出典:ウィキペディア
ですが、工業団地というと立ち遅れたイメージがもの凄く強いため、名称を変更することにしたそうです。
当時は周辺の工場のほとんどが海外や地方に移り、IT業界が大規模に入ってきた2000年代初期でした
そこで「九老工団よりは九老デジタル団地という名称の方がより適している」との結論が出され、改称されました。
3. 加里峰駅(가리봉역)
→加山デジタル団地駅(가산디지털단지역)

加山デジタル団地は、加山洞に位置する1号線と7号線が交わる地下鉄駅。
九老デジタル団地駅と加山デジタル団地駅はとても近く、2つを合わせて「Gバレー」と呼ばれています。

出典:전자신문
加里峰駅が加山デジタル駅に改称されたのも、先ほど紹介した九老デジタル団地駅のケースと同じです。
九老工団駅が九老デジタル団地駅に改称した際、先端団地のイメージを出そうとしているのを見て、それに従って変えたのだそう。
ちなみに、九老デジタル団地駅と加山デジタル団地駅は両方とも名前が長すぎるので、普通「グディ(구디)」「ガディ(가디)」と略して話したたりもします
4. 城内駅(성내역)
→蚕室ナル駅(잠실나루역)
出典:ウィキペディア
2号線蚕室ナル駅は本来、駅の北東に城内川があることから城内駅という名前でした。
問題は、江東区に城内洞という別の地域があったことです。
江東区城内洞は、城内駅からバスに乗り換えて4駅も先にありました
このような混乱を防止するため、2010年に「蚕室」と「ナル(川から船が渡るという意味)」という単語を合わせて「蚕室ナル」という単語を作り、城内駅は蚕室ナル駅に改称されました

該当地域が蚕室圏内にあることは事実ですが、すでに蚕室駅という名前の駅があるのに、あえて新しい単語まで作って蚕室ナル駅という名前を付けたのには理由があります。
蚕室は江南に位置していて、住宅価格がとても高く、お金持ちがたくさん住む町というイメージを持っています
そこで城内駅が名称を変える際に、住民が蚕室ナル駅という名前を強く推薦したそうです。
つまり「蚕室」という名前を通じて金持ちの町のイメージをさらに強化し、住宅価格を引き上げようとする意図があったといえます
5. 新川駅(신천역)
→蚕室セネ駅(잠실새내역)
出典:헤럴드 경제
蚕室ナル駅、蚕室駅の次に位置する2号線蚕室セネ駅。
新川駅という名前から蚕室セネ駅に変更された理由も、もう予測できますよね?
城内駅が蚕室ナル駅に変更された理由と同じで、駅名に蚕室を入れて金持ちの町のイメージを強化する意図がありました。

最初に改称したきっかけは、新川(신천:シンチョン)駅を同じ2番線にある新村(신촌:シンチョン)駅と間違えられる可能性が高いことでした。
外国人はもちろん、韓国人も発音によって駅を混同することが多かったのです
そこで蚕室という名前とともに、「新川(신천)」を純韓国語に変えた「セネ(새내)」という単語を使って蚕室セネという新しい名前を作ったのです。
しかし、結果的には2号線に連続して蚕室が入った駅名が3つもできて、むしろもっと混乱したという意見も多いです
ランドマークの変化により
名前が変わったケース

冒頭で駅名をつける際に地域のランドマークにちなんで付ける場合があるとお伝えしました
ですが、駅ができた当初のランドマークが時間の経過で無くなったり、名前が変わったりすることもありますよね!
そんな場合に地下鉄駅の名前も変わったりします。
どんな例があるのか見てみましょう
1. 中央庁駅(중앙청역)
→景福宮駅(경복궁역)

ソウルの美しい古き城、景福宮に行くためには、3号線景福宮駅でまで行く必要があります
駅が開通した当初は中央庁駅でした。
中央庁とは日本による植民地時代の時、日本が建てた朝鮮総督府の建物を使用した建物でした。

朝鮮総督府は日本による植民地時代、韓国を効果的に統制するために設置された機関でした。
当時、日本は朝鮮人の文化・歴史・民族的心理を圧倒するため、景福宮の中にある建物を壊し、景福宮の中に朝鮮総督府が建てられます。
植民地支配からの解放後も、朝鮮総督府の建物を中央庁として使用、維持されていましたが、植民地時代の象徴をソウルの中心に置くことについて、多くの問題が提起されました。

出典:ウィキペディア
1970年には政府ソウル庁舎が、1982年には政府果川庁舎が建てられ、韓国の主要機関がそこに移転しました。
そして中央庁は1986年、国立中央博物館として使用されます。
そのようにして朝鮮総督府から中央庁に、中央庁から国立中央博物館に改称され、地下鉄の駅名も1987年に「景福宮駅」という名前に変更されました
そして中央庁という機関自体が存在しなくなりました。

出典:연합뉴스
問題が多かった朝鮮総督府の建物はその後どうなったのでしょうか?
1995年、金泳三大統領が光復50周年3·1節記念文化祭の時に、朝鮮総督府の建物を撤去しています。
余談ですが、当時の金泳三大統領の支持率は爆発的に上昇し、70%にまで上がったという話もあります
それだけ、歓迎されたということですね。
そのように朝鮮総督府の建物が撤去され、今の美しい景福宮の風景が見られるようになったのです
2. ソウル運動場駅(서울운동장역)
→東大門運動場駅(동대문운동장역)
→東大門歴史文化公園駅(동대문역사문화공원역)
出典:mbc archive
東大門歴史文化公園の近くに位置する2号線、4号線、5号線が交わる東大門歴史文化公園駅
駅が開通した1983年には「ソウル運動場」という名前を持っていました。
朝鮮時代には治安を担当した部署があった場所でしたが、植民地時代に日本によって「京城運動場(경성운동장)」という名前に変わり、解放後にソウル運動場に変わりました。
そのため最初はソウル運動場という名前に決められたのです

出典:서울디자인재단
その後1984年に蚕室総合運動場ができ、これと確実に区分するため運動場名を東大門運動場に、駅名を東大門運動場駅に変更します。
そして2008年に東大門運動場が撤去され、東大門歴史文化公園ができたことで、2009年に駅名も同時に変更されました。
今、東大門歴史文化公園は昔の東大門運動場の思い出や業績を観覧できる展示館でいっぱいになっているそうです
3. 貨物ターミナル駅(화물터미널역)
→南部ターミナル駅(남부터미널역)

出典:ウィキペディア
1985年に首都圏電鉄3号線が開通した当時、ここは貨物ターミナル駅と呼ばれていました。
小さな貨物ターミナルがあったためです。
その後、1990年にこの貨物ターミナルが「ソウル南部ターミナル」と呼ばれるバスターミナルに用途が変わり、駅名も南部ターミナル駅に変わりました
皆さんが韓国旅行に来るとき、ソウルに滞在してから他の地域に移動する時には、南部ターミナル駅に立ち寄ることもあると思うので、南部ターミナル駅は覚えておくといいと思います

ここまで、名前が変わったソウル地下鉄駅を見てきました
様々な機関や団体の利害関係が絡まっていたり、ソウルの社会文化的な歴史が込められていたりして、とても興味深かったですよね?
私は京畿道の首都圏に住んでいるので、毎日1時間以上地下鉄に乗ってソウルと京畿道の間を行ったり来たりするのですが、こんな事情があったことを初めて知りました
皆さんも韓国旅行に来たら地下鉄をたくさん利用すると思うので、地下鉄駅の名前を見ながら、今回学んだ話を思い出すと面白いと思います
ここまで、変化したソウル地下鉄の駅名についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。

