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韓国の海外養子縁組の歴史

「赤ちゃん輸出国」と言われていた韓国...20万人もの子供が海外に送られた歴史をご紹介

Yeong
3 years ago

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こんにちは  

韓国人が毎日お伝えする
最新韓国旅行情報Creatripです!


皆さんは韓国が以前「赤ちゃん輸出国」と呼ばれていたことをご存じですか?

20万人もの子供が海外養子縁組として送られた悲しい過去があります  

今回は韓国の海外養子縁組の歴史についてご紹介します。


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韓国の海外養子縁組

朝鮮(6・25)戦争が引き起こした悲劇

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朝鮮戦争後、戦後の復興期に戦争で両親をなくした子供が政府の中央幼稚園に多く送られました。

親がいたとしても貧困により子育てができない家庭も多かったと言います。

しかし政府も戦争によりお金も資源もない状態でたくさんの子供を支援する能力が無かったため、海外に養子縁組に出すという方法を選択したのです。


戦争後時が過ぎ、最も悲惨な1950年代を脱しましたが、その後も子どもを海外に送る韓国人の数は減少せず1980年代にはピークに達しました。

1985年だけでも8,837人の子供たちが海外に養子縁組として送られました  

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1985年以降海外養子縁組の数は少しずつ減少しましたが、1年の海外養子縁組数が1,000人を下回ったのは2011年のことでした  

韓国保健福祉部の公式統計によると、1950年代以降17万人以上の子供が海外に養子縁組として送られたそうです。

しかし米軍が朝鮮戦争時に直接養子縁組したり、海外の機関や法人を介して養子縁組をしたりした数を合わせると20万人を超えると言われています  


韓国の海外養子縁組ブームの理由

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朝鮮戦争後の経済回復期に韓国のほとんどの家族が子育てをする余裕はなかったにもかかわらず、出産管理政策をしなかったため韓国にベビーブームをもたらしました。

多くの家族は息子が家系を継ぐことを望んだため、男の子は自分で育て、女の子が生まれた場合は養子縁組に送りました  

母親が自分の子供を諦めることは簡単ではありませんが、食べ物や衣類がないため育てることができませんでした。

子供たちがより豊かな国で成長し、より良い生活と質の良い教育を受けられることの方がいいと判断したのです。

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韓国人は仲間意識が強い文化なのに、なぜ韓国の裕福な家庭が養子縁組をしないで、海外に送ったのか疑問に思う人もいるかと思います。

しかしこの仲間意識が韓国国内で養子縁組を受け入れる人の少なさに影響を及ぼしたのです。

韓国では家族の間で「血のつながり」が最も重要視されます。

血のつながりが無いといけないという考えが強かったため、養子縁組をしなかったそうです。

統計によると韓国人が養子縁組を受け入れたのはたったの4%だったと言います  

その4%の内ほとんどは生まれたばかりの赤ちゃんだけを養子縁組したそうです。

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韓国人にとって、自分のグループ以外は全て部外者です。

同じ韓国人であっても血縁関係のない子供を育てるというのは伝統的な考えに反しており、他人から批判を受ける可能性が高かったそうです。

そのため国内で養子縁組をするのが難しく、海外に送られました。

欧米では韓国ほど血縁に関しての執着がなく、養子縁組に対する考えも悪くなかったので海外養子縁組が盛んになったのです。

朝鮮戦争後、多くの欧米の家族が韓国を訪れ、子供たちを養子縁組をしたと言います。

しかしこれが原因で韓国が「赤ちゃんの輸出国」と呼ばれてしまうようになりました  


ハーフの子供たち

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当時ハーフの子供も養子縁組されました。

米軍は長い間韓国に駐留していたため、多くの韓国人女性と子孫を残しました。

しかし韓国人の母親から生まれ、韓国語を話したとしても韓国人だと見なされなかったのです  

当時の韓国の法律では父親が外国人の場合、韓国国籍を取得できませんでした。

父親が外国籍を放棄したり、他の韓国の家族が正式に子供を養子縁組したりしなければ、法律的に韓国人にはなれなかったそうです。

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統計によると1955年に韓国で生まれたハーフの子供は439人でした。

その数は1960年には1075人に達しましたが、ほとんどが韓国人国籍をもらえませんでした。

また政府はハーフの子供たちを排除する立場を取ります。

当初の計画ではハーフの子供を隔離しようとしましたが、実現できず、養子縁組に送ることを推薦したのです  


2198+αとは?

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当時多くの家族は厳しい時代の中でどうしようもなく養子縁組に出しましたが、その後も韓国人は子供をあまりにも容易に海外養子縁組として送ったため、韓国政府は批判を受けました。

1988年ソウルオリンピックでは韓国は国際社会から「赤ちゃん輸出国」と呼ばれていました。

恥ずかしいことに北朝鮮からも「南の隣人が子供を売った」と批判されたのです。

当時は養子縁組に対する明確な規制がなかったため、子供たちはほとんど商品のように扱われていました 

子供たちが送られた後どうなったか追跡することも困難で、約20万人の海外養子縁組された子供たちは今どこにいるのか誰も知りません。


 国際社会からの批判で政府はついに子供たちを保護するための法律を制定しました。

1976年12月に「特別養子縁組法(입양특례법)」が制定され、1995年に不足部分が改訂されました。

2011年にはやっと海外養子縁組の子供たちの韓国との二重市民権を許可したのです。

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当時1956年から1972年の間、30を超えるチャーター便で少なくとも2198人の子供を海外に輸送しました。

2198人残っている最小の記録で、もっと多くの子供を一度に運んでいた可能性が高いため、メディアなどによって「2198+α」と呼ばれることもあります。

第二次世界大戦後、ヨーロッパの多くの孤児がアメリカに移送されました。

アメリカは難民救済法を可決し、入国する外国人の移民と帰化を促進したそうです。

しかしこの政策は1956年までだったため、韓国政府が年末にいくつかのチャーターを使って多くの子供を送ったという記録が残っています  

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たくさんの子供たちが商品のようにチャーター機で送られるのを見た国際社会は大きく批判しました。

米国の一部の州では養子縁組を禁止し始め、やがてこのような形での養子縁組は中止となります  

韓国が海外旅行を始めてから、養子縁組の方法が「エスコートサービス」に変更され、留学生や旅行者が韓国から海外に赤ちゃんを届けるようになりました。

しかしこの方法も養子縁組の商業化であるとして批判されており、子供に感情的な被害が及ぶのではないかと懸念されています。

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エスコートサービスをするほとんどの移送者は子育ての経験が無く、養子縁組機関からも数時間の短い教育しかありませんでした。

エスコートサービスの移送者の多くが若かったため、フライトの時に子供とお互いに感情を抱くようになり、子供たちが空港で移送者との別れを拒むという状況も多々あったそうです。

これは韓国人の良心に大きな負担を与えました。


現在の韓国の養子縁組政策

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出典:스마일게이트 희망스튜디오

韓国は1980年代に生まれた「赤ちゃん輸出国」という汚名を一掃するため、子供と子どもの福祉に関する法的規制を積極的に強化してきました  

2007年には「海外養子縁組クオーター制」が導入され、海外養子縁組を毎年10%削減するように命じました。

さらに海外で受け入れ先を探す前に、韓国国内で5カ月は里親を探すシステムを導入したそうです。

しかし政策の変更にもかかわらず国内での養子縁組受け入れ率はほとんど変わっていません。
(2006年1,332人、2007年1,388人、2008年1,306人、2009年1,314人)

それに比べて海外養子縁組は減少傾向にあり、養子縁組を希望する海外の家族にとってはクオーター制が大きな壁のようです。

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出典:연합뉴스

新しい制度が施行されてから、海外養子縁組ができるまでの時間が長くなり、養子縁組ができないケースが増えています。

子供は大きくなればなるほど養子縁組がしにくくなるため、こちらも大きな問題になっているそうです。

専門家は海外養子縁組を制限することは最善の政策ではないと指摘しています。

また養子縁組をした家族をもっと支援し、韓国人の血縁に対する概念も変えていかなければならないと言われています。


出生国に戻る

海外養子縁組として新しい名前をもらって大きく成長した子供たちは、アイデンティティに対して多くの苦悩があります。

近年多くの養子縁組の子供たちが血のつながった家族を探すために韓国に戻ってきました。

しかし彼らを生んだ母親でもみんな再会を望んでいるわけではないようです。

韓国にせっかくやってきたにもかかわらず出産した母親が彼らに会うことを拒むことが多く、彼らは結局韓国国籍を持たないことを選択するそうです。

とても悲しい現実ですよね  

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出典:
《ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です》

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出典:《ホント無理だから》

ネットフリックスオリジナル《ムーブ・トゥ・ヘブン:私は遺品整理士です》では、生みの親を探すために韓国に帰国した人の話がありましたが、残念ながら病気で亡くなっており、近年で海外養子縁組について語った数少ない作品の一つとなりました。

《ホント無理だから》の男主人公は海外に養子縁組された後、韓国に戻って留学しているという設定になっています。



韓国の海外養子縁組の歴史と今についてご紹介しました。

いかがだったでしょうか?

あまり知られていない過去ですが、韓国が好きな方にはぜひ知っておいてほしい歴史でした  


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ここまで、「韓国の海外養子縁組の歴史」についての記事でした。お問い合わせ事項がある場合、本ブログ記事のコメント欄にご記入いただくか、help@creatrip.com までメールもしくは、公式ライン@creatripまでメッセージを送ってください。

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